2013年11月4日月曜日

モネの「ひなげし」

夏の散歩。赤いひなげしの花が咲き乱れる。長く伸びた草に胸まで隠れて。

花はひなげしでなくてもいい。草の匂い。風。空。光。

そんな感覚を見事に描き表したモネの「ひなげし」。最初の妻カミーユと当時6歳だった息子のジャン•ピエールが野原を歩いて行きます。

同じ絵の中で、親子は二カ所に現われます。中世の絵のように、同じ登場人物が、時間の流れにしたがって、二回姿を現わしているのです。

ひなげしは、近づいて見れば、ほとんど赤い点々にすぎないのですが、絵全体として見た時、花の咲き乱れる野原を、これほど生き生きと呼び覚ましてくれる絵は、他にないかもしれません。

この絵は1873年に描かれ、翌年、印象派の画家の絵を集めた最初の展覧会「落選展」で展示されました。

カミーユは、18歳でモネと出会い、32歳に結核で亡くなるまで、幾度となくモネの絵のモデルとなりました。ルノワールが描いた彼女の肖像もあります。

印象派の画家たちがまだ世に認められていなかった時、エルネスト・オシュデというモネたちの友人が、印象派の絵を買い集め、画家たちの経済的な支えとなっていました。

パリのシックな商店を経営し、夏は田舎にある城で過ごしていたエルネスト。しかし、実は彼の店は赤字で、1877年、ついに破産してしまいます。エルネストは逃げるように国外に去り、彼の妻アリスは一人残されます。5人の子どもと、お腹の中の6人目を抱えて。

モネ夫妻は、パリのアパートを借りるお金はなかったので、苦しい時を乗り越えるために、普通の人が夏だけ過ごす粗末な家を、地方で借ります。アリスも、子どもたちと一緒にそこに移り住んだのでした。

全部で8人の子ども。狭い家で、ひしめき合うように暮らしていたのでしょう。

でも、「ひなげし」の中で、カミーユとジャン•ピエールは、広々とした野原を気持ち良さそうに渡って行きます‥

冒頭の写真は、この絵をタペストリーで再現した複製の一部です。タペストリーは、印象派やクリムトの黄金時代、壁画などの複製に特に向いているようです。

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