2013年11月7日木曜日

モネの庭



ジベルニーの庭。

モネがジベルニーに引っ越したのは、42歳の時でした。いくらか絵が売れるようになり、ようやく狭い家から広々とした空間に住むことができるようになったのでした。

最初の妻カミーユはもうこの世にありませんでしたが、二人の子ども、そして後に再婚することになるアリスとその六人の子どもという大所帯でした。

この頃モネはまだ有名な画家ではなく、生活が豊かになったわけでもなければ、ジベルニーを買ったわけでもありませんでした。

モネは庭に多くの花を植えましたが、同時に野菜畑も作りました。夕方の水まきと草抜きは子どもたちの仕事で、子どもたちにとっては楽しいだけではなかったようです。子どもたちは、鳩や七面鳥の世話もしました。近所の川で魚も釣りました。もちろん、楽しいこともたくさんありました。泳いだり、スケートをしたり‥

ジベルニーは、楽にパリまで日帰りできる距離でもあり、画商や画家仲間に合うのに便利だということも、モネにとって好都合だったようです。

やがて彼は画家として大成功を収め、家と庭を買い取り、パリどころかアメリカからまで画商がやってくるようになりました。

庭師が雇われ、子どもたちは庭仕事から解放されました。

モネはよく庭で絵を描きました。アリスの娘ブランシュは絵が大好きで、いつもモネのお供をしたそうです。彼女は大人になってからも絵を描き続け、若くして夫が亡くなると、モネのもとに戻り、再び彼を手伝いました。

モネは滅多に自分の作品に満足することがなく、気に入らないと、庭で絵を燃やしたそうです。そんなふうに燃やされた絵は、たくさんあったそうですよ‥

この庭でモネは、睡蓮の連作や日本の橋など、数々の名作を生み出しました。

冒頭の映像は、モネの絵ではありません。写真でもありません。ジベルニーの池を再現したタペストリーの一部です。

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