なぜ涙が?
「貴婦人と一角獣の謎」でご紹介したジェルソン神学から考えると、悔い改めの涙ということになりますが。
中世最大の詩人で破滅的な人生を送ったフランソワ・ヴィヨンの詩にも、五感と心をテーマにしたものがあり、悔恨の涙という言葉が見当たります。
天幕は、中世の騎士文学の中で、しばしば人間の世界と神の世界との境界を象徴するものとして使われていました。
ということは、宝石類を箱にしまって天幕に入ろうとする貴婦人は、過去の行いに悔恨の涙を流しているのでしょうか。
ちょっと待って待って!それだったら、その前の5枚のタペストリーはどうなるの?美しい五感の世界を否定してしまうということ?
だとすると、五感のタペストリーをかくも美しく描いたのはどうして?五感をおとしめるような表現は、一つも見当たりませんでしたが。
もう一度、天幕の「涙」を見てみましょう。
涙にしては、ちょっと変わった形ではありませんか?
実はこれは炎でもあるという説があります。
人間的な情熱の炎。
二つの相反するものに魅かれている心。
天幕の外にも、中にも魅かれながら、敷居に佇む貴婦人。
そう考えると、なんだかわかるような気がしますが、皆さんはいかがですか?
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ヨーロッパの職人が作ったゴブラン織りのタペストリー
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