フランスに住んでいた時、近所に猫を飼っている人がいました。
放し飼いにしていて、ある日交通事故に。
フランスでも、事故に遭ったり姿を消す放し飼いの猫は多いようです。
その一部は毛皮になっているという恐ろしい記事を読んだこともあります。
犬も、同じ目的のために盗まれることがあるといいます。
猫がいなくなってから一週間ほど経った頃でしょうか。
隣人のアパルトマンに行くと、見知らぬ猫がいます。
「弟がくれたんだ。」
そう言う彼の顔は明るくはありませんでした。
「子どもたちは大喜びさ。
でも僕は…」
「まだ新しい猫なんて欲しくなかった?」
彼は黙ってうなづきました。
辛そうでした。
人間の家族を失くした時、 誰が新しい子どもやお母さんを上げるでしょう。
ところがそれが動物の時、人は時として、 良かれと思って間違いを犯してしまいます。
時間が経てば、よその子を見て目を細めるようにもなるでしょう。
お母さんのような人に甘えることもあるでしょう。
そうなるまでには、どうしても時間が必要です。
ペットを失った人にも、喪の時間は必要だそうです。
周りの人にできるのは、 その人が十分に喪の時を生きる手助けをすることかもしれません。
それは、さりげなく「理解してるよ」 というサインを送ることだったり、 そっとしておいてあげることだったり、 場合によって違うので難しいですね。
でもとにかく、他のあらゆるコミュニケーションと同じように、 相手の気持ちになってみることから始まるのでしょう。
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